2012年2月11日土曜日

塩沢織 / 塩沢紬・越後上布・本塩沢・夏塩沢


【塩沢織】
■産地
新潟県南魚沼市周辺

■歴史
奈良時代の東大寺正倉院にこの地域で織られた良質の麻織物が納められ、今でも宝物として保存されている。このことから1200年以前より、塩沢地方では上質の麻織物「越後上布」が生産されていたことが推測できる。

この麻織物「越後上布」の技術を今から350年前の江戸時代のころ絹織物に応用し創られたものが「本塩沢(塩沢お召)」。また、その100年後には真綿糸を使用し「塩沢紬」が創られた。さらに、明治時代にこれらの絹織物を夏用として改良されたものが「夏塩沢」と呼ばれる。

塩沢の織物の親にあたるのが「越後上布」(麻)、その子にあたるのが「本塩沢」(絹)と「塩沢紬」(真綿)で、その孫にあたるのが「夏塩沢」(絹)となる。
(塩沢つむぎ記念館HPより)

■特徴
・「越後上布」
多年草の「苧麻」の靱皮繊維である「青苧」を手積みした本製糸に手括りによる絣模様を施し、地機(居座機)を使って機織りし、湯揉み、足踏みによって仕上げを行った生地を雪晒し漂白する。

【雪晒しとは】
大気中の酸素が紫外線によってオゾンが発生し、オゾンの漂白効果を利用して染料の色が鮮やかになり黄ばみやしみがよく落ちる。いったん商品として出荷された着物も、汗や汚れを落とすために雪の中に里帰りして雪晒しされる。2~4月上旬まで越後の風物詩。

・「塩沢紬」
たて糸は常繭からつくった生糸と玉繭からつくった玉糸を、よこ糸は真綿から紡いだ真綿糸を使用。真綿を使用しているのでふんわりしている。

【玉糸とは】
ひとつの繭を二匹以上の蚕がつくったのを玉繭といい、その繭からとった節のある糸を玉糸

・本塩沢
たて糸とよこ糸は甘撚りの「生糸」を、さらによこ糸は生糸の強撚糸「地緯糸(じぬきいと)」を使用する。本塩沢だけのシボを体験できる。

・「夏塩沢」
たて糸もよこ糸ともに生糸・玉糸の強撚糸「駒糸」を使用。独特のシャリ感がある。




越後湯沢から足を伸ばし、塩沢つむぎ記念館のある塩沢へ向かったのは10月の後半。すでに除雪車の準備をしていたのには驚いた。雪深い新潟県はまさに織物の宝庫。閑農期にいくつもの工程によって織り上げられる織物は小千谷縮、越後上布など無形文化遺産に登録される上質な織物を産み出してきた。

塩沢つむぎ記念館の二階の織工房で手織りの体験をしてきた。体験織りの糸は化学染料でそめられた糸が使用されているとのこと。高機でコースターを作成。端の処理が難しかった。一人が3cmずつ好きな糸で織り上げ、みんなで完成させるというイベントを行っていた。前の人の色合いなどを考えて織り上げるという作業は完成品を想像するだけでもわくわくするものだった。

さまざまな工芸品の体験をすると、そのものや工程に興味を持つものだが、毎回、「もう少し事前に知識があればもっと深く吸収できるのに」との後悔が。このブログもそんな人の役に少しでも立てればと思う。

一階は即売所と新潟地方の織物の歴史や展示物があったり美しい着物をみることができたりと楽しむことができる。




塩沢つむぎ記念館からすぐのところに牧之通りがある。牧之(ぼくし)通りは三国街道の宿場町として栄えた昔の塩沢宿の町並みが再現されている。通り沿いにはおおきなカマキリのオブジェがあり、理由を調べるとカマキリの産みつけた卵の位置でその冬の積雪量を予測できるとのこと。2011年には国交省の「都市景観大賞」を受賞した。町並み自体は30分もあればまわれる程度だが、一店舗一店舗が味わい深いお店ばかりで、観光客を積極的に受け入れ、楽しませる工夫が随所に見られる。年齢を重ねると分かる味わい深さが随所にこめられた良い観光地だと思う。


2012年2月8日水曜日

大堀相馬焼 / 明月窯・吉峰窯

■産地
福島県双葉郡浪江町大字大堀
(旧藩政時代は「相馬焼」と呼ばれていたが、国の指定以来産地名「大堀」を入れて正式には「大堀相馬焼」と呼んでいる

■歴史
江戸時代から歴史を持つ大堀相馬焼。相馬藩では、これを藩の特産にしようと産地に瀬戸役所を設置して、資金の援助や原材料の確保など保護育成に努めた。これにより大堀の窯業は農家の副業として近隣八ヶ村に普及、江戸時代末期には窯元も100戸を超え、販路も北海道から関東一円、更には信州越後方面まで広がり、一大産地へと発展を遂げた。

その後、明治期から廃藩置県により藩の援助がなくなったことに加え、交通の発達による他産地との競合激化、さらには戦争による大きな打撃と、太平洋戦争の終結時まで大堀相馬焼は冬の時代を迎える、しかし、戦後、産地は立ち直り、市場は国内おろかアメリカまで広がり、「アイディアカップ」、「ダブルカップ」という名称で愛用された。

昭和53年には国の伝統的工芸品として指定を受けた。平成22年1月には、「大堀相馬焼」が地域団体商標として商標登録され、25軒の窯元が350年にわたる伝統を守りながら日々親しまれる製品づくりに努力している。
大堀相馬焼共同組合公式HP「陶芸の杜おおぼり」より)


■特徴
①「青ひび」
貫入音と共に、「青ひび」と呼ばれるひび割れが、器全体に広がって地模様になっている。ひびにはすみを流しいれる。

②「走り駒」
狩野派の筆法といわれる「走り駒」の絵で、相馬藩の御神馬を熟練された筆使いで描かれている。窯元によっては手書きではなく、シルクスクリーンを用いでいるところもある。

③「二重焼」
二重焼き 002.jpg

大堀相馬焼の湯のみは冷めにくいといわれる。その原理に相当する技術。轆轤による成形の段階で、外側と内側を作り、焼前に被せることでおこなわれる。この技術を用いた焼き物は大堀相馬焼き以外ではまず見られない。二つ重なっていることで、「二重の喜び」「喜びが重なる」と、縁起物の贈答品としても人気。

④貫入音
素材と釉薬の収縮率の違いから、焼いたときの陶器の表面に繊細な音を伴って細かい亀裂が入る。これを貫入と呼ぶ。大堀相馬焼は、この貫入によって「青ひび」の地模様が刻まれる。この貫入音は「ふくしまの音30景」に登録されている。





大堀相馬焼は窯元が浪江町内にあるため、福島第一原発による避難区域として全村民が避難している。そのため、現在浪江で大堀相馬焼に従事しているかたはだれもいません。

私が2010年に訪問した際、郡山方面から約2時間。三春から国道288をつかい片道1車線の道路の両脇にはのどかな田園風景。コンビニすら大きな町や国道でしかぶつからないとないような道は、AM FMラジオもろくに入らず多少の恐怖心を覚えた。しかし、田んぼや自然は鮮やかであり、私の恐怖心は車、ラジオ、携帯それらのものから自分が離れる、離れているかもという非日常にすぐ入るような環境であるということからくるもの。都心に住む人間の甘え。

大堀相馬焼のHPでは25の窯元とあるが、実際直接訪問し作品を拝見できるような窯元は10件にも満たないような印象を受けた。基本的には入り口すら分からないような看板だけでている窯元も多い。

今回2窯元を紹介する。

・「明月窯」
DASH村というTOKIOの番組でも紹介されている長橋さんが運営する窯元。そんなことを知らずに訪問したのは、大堀相馬焼の窯元の中でも大堀相馬焼共同組合が運営する「陶芸の杜おおぼり」以外で一番入りやすい場所にあり、展示販売、見学も行っていたこと。

一人で車を降り入店すると、すぐ長橋さんが声をかけてきてくれTOKIOのことも含めいろいろと親切に説明してくれた。こちらの「走り駒」は基本的に型を利用しているとのことだったが、手書きでの「走り駒」の作品もある(やきもの自体はもちろん手作り)。相馬野馬追いと走り駒。地域の歴史と文化が積み重なり工芸品もできているということを改めて思うのだが、一瞬にしてその歴史、伝統、つながりを壊す原発など本当に必要なものなのか。

明月窯では大堀相馬焼の「二重焼」という性質を生かし、独自にビアマグを製造し販売していた。1点購入し、発泡酒でためしたが本当にひえひえの状態が続く。味のあるやきものだがもう少し飲み口を薄くすればのどごしがよくなるような気がするが、二重焼という性質上難しいのだろう。

そのほか、上記写真の小ぶりのやきものを3点購入。貫入線は墨をいれているか入れていないかの違いだそう。大堀焼相馬焼の主製品は青磁器による青ひび。日用品として厚く丈夫な作品が多い。確かに非常に丈夫である。また、食べ終わったときに底からでてくる「走り駒」は、友人などとやきものを話す話題のきっかけにもなりなんだか非常に可愛げのあるうつわたちだ。

・「吉峰窯」


陶暦

1977年 福島県浪江町生まれ
2000年 文化学院芸術専門学校陶磁科卒業
            鈴木三成氏に指導を受ける
2004年 日本伝統工芸展入選(07.08年入選)
            東日本伝統工芸展入選(05,06,07,08,09入選)
            益子陶芸展入選(06,08入選)
2005年 日本陶芸展入選(09入選)
2007年 日本陶芸展「大賞・桂宮賜杯」受賞
2009年 菊池ビエンナーレ展入選
            日本工芸会準会員

1977年生まれの志賀暁吉さんの作品が展示されている。「場が引き締まるような青姿を心がけている」という作品は、凛とした佇まいのなかの美しいフォルム、調和のとれた貫入。一目惚れでした。ただ、安月給、作品を購入できず。

志賀さんは「第19回日本陶芸展」において史上最年少となる「大賞・桂宮賜杯」を受賞。直接お話を伺ったがまだお若いのからなのか、朴訥とした感じだった。そこがまた作品へ対しての愛情を感じた。志賀さんの作品は低めの温度で焼いているので光沢を抑えた作品になっている。ただ、その抑え気味の光沢とたてに伸びるフォルムと貫入のバランスがすばらしく、手に取るのが怖いくらいだった。

志賀さんからは震災後2011年に一枚のはがきがきた。浪江からは場所を移し、福島県内で再度制作を再開したとのこと。ぜひとも福島をあきらめず、作品づくりを福島で続けてほしい。

志賀さんの作品は現代工芸藤野屋さんのサイトから購入可能。