2012年3月23日金曜日

歌川国芳 / 浮世絵

六本木にある森アーツセンターギャラリーで開催された「没後150年 歌川国芳展」に行ってきた。

歌川国芳(寛政9~文久元年) 1797~1861
江戸時代後期の浮世絵師。12歳のとき初代歌川豊国の弟子となる。号は一勇斎、朝桜楼など。歌川派の創始者、歌川豊春の門下で、歌川派盛隆の端緒を開いた歌川豊国の弟子の中では、国芳と国定(豊国三代)が特に有名。

 
不遇の時代を経て、文政10年(1827)頃より刊行された錦絵揃物「通俗水滸伝豪傑百八人之一箇」(版元加賀屋)で人気が急騰。水滸伝の登場人物をひとりひとり描くという技法はそれまでの武者絵にはなかったもの。


 
国芳は、国貞(豊国三代)、広重とほぼ同じ時期に活躍した。国芳といえば、猫や金魚などの戯画が頭に浮かぶが、水滸伝のような武者絵や「東都各所」のような風景画も描いている。遠近法を用いた構図や、雲の描き方などから西洋画の影響を見て取れるが、扇子をもったきょとんとした人物や、女性の簡素化された動きのある太い曲線、後に日本の漫画の原点となる要素も見て取ることができる。この「東都各所」のシリーズは完成度が高く、自然な遠近感の中に、水平線に近い視点からとらえられた景色は、今日のスナップ写真のようで、登場人物の目の高さと同じといわれている。人物にはあまり陰影がないので平坦なのだが、遠近法を用いた景色を合わさると不思議な錯覚に陥る。


 
天保年間から始まったワイドスクリーンと称すべき3枚続の作品。画面いっぱいに動物などを描くことはそれまではなく、3枚続でも1枚ずつ単独でも観賞できるようになっていた。国芳はこの概念を取り払い、3枚続の画面いっぱいにダイナミックな構図で巨大生物と戦う武者の姿を描き「武者絵の国芳」の名をとどろかせた。


  
水野忠邦の天保の改革により、役者・遊女・芸者などを描くことが禁じられた。これを逆手にとり国芳は動物・妖怪・子供などを用い当時の世風を反映させた作品をたくさん描いている。奇知にとんだ作品は、改革に対する世相の厳しい嫌悪感をウィットにとんだ独特の方法で表現した。また、上の作品のように、現代のコミック漫画でもみるような豊かな表情の何かを言いだしそうな表情の顔中に、十二支のすべての描きこんでいるというような、見ているものの心を一瞬でも晴らすような面白みと共感を満たす作品ばかりだ。


 
国芳の作品についてはぜひKuniyoshi Projectのサイトを参考にしてほしい。「福禄寿あたまのたはむれ」など、見たら笑わずにいられない。ありがたい七福神のひとり、福禄寿の頭でさまざまな笑いのバリエーションを表す。ありがたみを逆手にとって福禄寿がとても身近な存在に感じられる。筆一本で想像力を働かせ、多くの人を笑わせる。国芳の作品をみていると、多くの情報やもに囲まれすぎている現代では、そんな想像力が退化してきてるんじゃないかと感じてしまう。